20180411 文章を紡ぐことについて(産経新聞コラム反省点)

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職場のあっせんにて、今週土曜日の産経新聞関西版にコラムを寄稿しました。なかなか書いていて楽しかったでが反省もあり、それに関連して考えたことをメモ。


内田樹さんの「寝ながら学べる構造主義」のイントロだったかと思いますが、人の発言で納得したものを集めて形にするのは根拠を持って言えるが、自分の考えを言葉にするのはかなり難しい、というのがある。
言わんとするところは良くわかる、いずれは「自分だけの考え・言葉」を残したいが、残念ながら今の自分はそのステージには立てない。コラムは「研究者ってどんな人か」を表テーマ、「事後的認識」を裏テーマにしましたが、振り返って読んでみると、これまでに出会った色々な考え方をピースに、自分の考えを培ってきたのかが面白い。自分の考えの土台を再観察している感じです。

・研究では大事な問題を発見することが一番難しい
森博嗣「貴嶋先生の静かな世界」より。問題を解く事よりも見つける事のほうが遥かに難しい、というのは、最近やっと理解した。

・まずは自分が納得し、燃えなければならない。
利根川進「精神と物質」より。サイエンスを飯のタネにしている人は五万といるが、サイエンスが求める人は一部である。痛烈な一言。

・解ではなく動的平衡・プロセスに本質がある
福岡伸一「動的平衡」より。この考え方も素敵である。似たような言葉で、最近気に入っているのは、「愛とは動詞である.愛しいという気持ちは,愛という行動の結果に過ぎない」。

・事後的な認識
構造主義的観察。「目的–>研究」ではなく、「研究–>目的」の様に、一見した因果関係をまずは逆から見てみる。似たような考え方に、ボーヴォワール の「女性に生まれるのではなく、女性になる」にも影響を受けた。アドラー心理学にも似ていて、自分の思考を確かめる時に有効な手段。一見原因に導かれた行動、それこそが原因でないのかと。

・取り攫われる
國分巧一朗「暇と退屈の倫理学」より。この感覚も重要で、自分は動作の主体ではなく、客体として認識すべきなのかもしれない、ということ。自動運転モードには、入るのではなく、入っているもの。


初めての経験ということで、かなり楽しかった。また、文章の推敲がこんなにも楽しい事だと初めて知った。最後のパラグラフは、10回くらいひねくりました。

いくつか反省。

(1) 自分の流行: 自分の中での流行りの概念を、十分な説明もなく多用している、とのこと。そのため、読者を置き去りにしてしまっている感もある。長さの関係で難しいが、その点は反省。十分な余裕があれば、比喩で説明したいところ。

(2) 自己満足: 内容がある程度固まったあるタイミングから、文章そのものをオシャレにしたいとの欲求に動かされた。そのため、夜中に書いたラブレター的な状態もあった。気をつけねばならない。

(3) 論理展開: ただの作文にしてはいいのだと思うが、論理構成がには煮え切っていない。e.g. 冒頭の「態度」と最後の「刹那の中」は同じ概念なのか。この辺を一発で仕上げているとしたら、プロの文章作成者は流石にすごい。

(4) キャッチーな言葉: 父上のアドバイスとして、起承転結の結部分にキャッチーな何かを入れたいと思ったが、それが思いつかない。そんな時に、福岡伸一の本、「変わらないために変わり続ける」を知って、プロは流石だと感服。まだ自分で伸ばさないといけない能力。プロポーザルとかにも繋がってくる。

(5) 自分の言葉で語れていない。これは、まだそのステージに立てないのだと思う。問題がクリアになったので、この点は意識したい。「寝ながら学べる構造主義」「暇と退屈の倫理学」の冒頭が、何度読んでも感動です。自分の言葉を世に問う、その感覚。

総じて、いい経験になりました。また、自分の中で文章を書くということがすごく楽しいことだということも分かったので、内田樹・森博嗣・福岡伸一路線を一つの目標にしたいと思います。そのためにもまず、自分の研究に没頭し、一流になるのが先決。これもまた、目的はその先の目標の途中にある手段。

挿絵は友人に頼みました。恵美君ありがとう。元の発注からの進化、これもまた素晴らしい。

 

 

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