受動意識仮説。
始めて読んだときはなかなかに衝撃的だったが、2回目だとそれほどでも。
凄く簡単にいうと、機械論的人間観、「心はただのREACTION MACHINEですよ」と思わされる本。
それがまた理にかなってるので、その論証は相変わらず素晴らしい。
これ自体が目新しい説かというと、恐らくそうではない。知ってみると、似た様な本もある。
ただ、やはり1冊目に読むときは衝撃である。
この受動意識仮説が真であれば、私たちの人生や心、意識は何なのか?って話になる。
悲しい話ではあるが、私たちに自由意志なんて無いのかもしれない。
それでも、私たちは私たちなりに生きるしかないのだ。
分かったところで何かが変わる訳ではないが、新しい世界の見方として、読んでみる価値のある1冊だと思う。
- 大事な点
- 無意識のparallel処理の結果が「意識」
- 心
- 知: 知性
- 情: 感情
- 意: 意図、意思決定
- 意識: 自分が私であることに目を向ける自己意識
- 記憶と学習:
- 宣言的記憶:エピソード記憶、意味記憶
- 非宣言的記憶:すきーの滑り方、など
- 「私」の多重構造性。外から順に
- 世界・外部環境
- 自分(体)
- 脳
- 「私」意識
- <私>クオリア
- 生まれてから死ぬまで、あぁ私だと思う、この感覚???
- 「私」の自己意識から、小槻の意識であるという意味を除いた感覚
- 脳が活動の中で感じる、自分という感覚
- 「私」は受動的=受動意識仮説
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- 自分の体は物体だが、自分の生命は活動
- 「無意識の処理」≒「小人のパラレル処理」
- 自分が初めに意識したと、私たちはいつも錯覚させられている
- 「私」が「私」であるためのカギは、エピソード記憶
- 「意識」により「自分が行った事」になるから「エピソード記憶」が可能になる
- つまり、意識はエピソード記憶をするための要請として生まれたもの
- 例えば、虫にはおそらく意識はない。REACTION MACHINE。人間も本来そうなのかも?(機械論的)
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- その他
- クオリア:「私は生きているんだ」という質感