20180414 研究者になる、その瞬間(産経新聞コラム)

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「どうすれば研究者になれますか?」

見学に来た高校生からの質問に、違和感を持った。思うに、「研究する者」の本質は、対象を深く研ぎ究めんとする「態度」にあって、知識や肩書などの「状態」にはない。だから、研究者には「なってしまって」いるもので、参考書やノウハウは必要ないと思う。思想家・内田樹さんの弁を借りれば、ヒトの遺伝子を持つ者が人間になるのではなく、人間的であろうという態度にこそ人間性は宿る。研究者も、きっと同じだ。

職業として研究者を選ぶ者の多くには、「研究が楽しくて仕方がない」という原始体験が訪れる。僕には大学院生の時に来たが、小学生から持ち続けている人も、本当に多くいる。目の前にある不思議を解明しようと、自分の最大限の知識と技術で、試行錯誤・仮説検証を重ね続ける。そのチャレンジの多くは失敗に終わるが、「もう少しで解けそうだ!」という感覚が麻薬的で、捉われてしまうのである。知恵の輪に挑戦している感覚に近いのかもしれない。時々やってくる「解けそうな知恵の輪」は本当に魅力的で、考えなくても、考えている。食事をしても、布団に入っても、隣で奥さんが話していても。

ある段階で若者は、「君の発見の科学的意義は?」と問われる。ここで若者は、問題を解く行為が必ずしも科学ではないと知る。研究と科学が、異なる概念だと気付く。科学には、未知を既知にする事、人類が答えを知らない不思議を解明する事が求められる。そして、最も時間を使い、思考すべきなのは、考えるに値する問題を探す事だ。解くことが可能か否か、それすら分からない問題を。すぐに解ける問題は、誰にでも解ける。器用さとは、底の浅さかも知れない。重要だと確信できる問題を見つける事は、それを解くことより遥かに難しい。

皆が不可能だと思っていた問題が解かれると、世間を騒がせる大発見となる。しかしその背後には、誰かが挑戦し、解き得なかった知恵の輪が広がっている。それでも尚、情熱を捧げるに値する何かに出会えるのは幸せな事だ。僕には偶然、それが研究だった。研究者になろう、なんて思わなくていい。研究者とはなってしまうもので、その始まりは事後的にしか認識できない。不思議に魅せられている刹那の中にこそ、研究者の心は宿る。


イラスト: 恵美雄一

 

 

小槻峻司(こつき・しゅんじ)

理研・計算科学研究センター研究員、文部科学省卓越研究員、気象予報士。京都大学大学院にて博士(工学)を取得。スーパーコンピュータを駆使して天気予報の改善に取り組む、データ同化研究者。研究の世界を覗くための推薦書は、「貴嶋先生の静かな世界」と「精神と物質」。今年のテーマは「最善の敵は、善」。


文章は新聞に掲載されましたが、文章とイラストは作成者に著作権があることを確認して転載しました。

WEB版は、こちらにUPLOADされています。
https://www.sankei.com/west/news/180414/wst1804140035-n1.html
http://www.cdb.riken.jp/learningcenter/multimedia/kagakunonakami.html

 

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