世に問う、という感覚

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先の新聞コラムに際して。

何事もそうなのだが、いろいろとステージがあると思う。
(1) 世に合わせて真似る
(2) 自分の言葉にする
(3) 自分の言葉にする、それが世に求められる

「心の欲する所に従えども矩を踰えず」も、その一例。
一時期、自分の音楽表現を進めたミスチルも、その一環。
そして、研究にもそのようなステージが来る。

良くわからないが、まずは科学のステージに立つために、科学のルールを知る必要がある様にも思う。これは、論文を書くということだと思う。論文を書くことが目的ではないが、それしか科学に貢献する手段はない。人類に知識を残そうと思うならば。

幸い、理研に職を得て、科学にコミットすることが必要条件なので、科学論文というのをかなり意識の中に置いてきた。自分でもよく分からないが、それを踏まえたからこそ、「自分の考えた海のものとも山のものとも分からない、これを世に問いたい」という感覚を持てるようになった。自分の中で、こういう考えを自然と持つようになったことはかなり嬉しい。

内田樹さんの講演に際して「哲学者・思想者は、どのように自分の考えを証明するのか」ということを聞いた。答えは、「自分は自分の考えを世に問うのみである。審判は時代が決める」ということだった。

これもまた、この時の考え方が自分の思考のピースになるのだろう。科学者としては、より大きな問題提起を世に問えるようになりたい。世に問うためには、対象について深く考えることが必要条件である。

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