自分にとって,とても大事な概念を扱っているという直感は理解できる.しかし,理解できない.
完全に自分の実力不足である.まだ哲学的概念を十分に出し入れできるだけの能力がない.
現時点での理解 (2019.02.09)
- 現在当たり前になっている「能動・受動」の対立軸であるが,これは自明ではない
- 古代ギリシャでは,「能動」に対立する概念は「中動」であった
- その差は,行為の終わりが,「私」で閉じているか否か
- この世界では,「意志」は「行為」に前景化しない
- しかし,哲学の興りにより,責任の概念と共に,意志という概念が創出された
- 本来,自由意志など無い筈であるが,哲学と共に,「意志」は「行為」に事後的に憑りついた
- ルサンチマン・道徳との対比
- そもそも「善」とは強きもの.
- ルサンチマンは「徳」を生み,「徳ある行動」を「善ある行動」と呼ぶようになった
- キリスト教の,利他がその最たる例
- この「徳ある行動」という概念の創出と,「意志の元での行動」がとても似ている様に思う
- ちょうど,キリスト教の興りと関連している?
- (1) 能動と受動をめぐる諸問題
- 「私が何かを為す」とはどういうことか?
- 「私が歩く」と「私の元で歩行が実現されている」の違いは何?
- 能動・受動の概念では捉えにくい動詞の存在(座る、理解する)
- しかし、この対比構造は、比較的新しい言語の形である。
- もともと、能動態と対になる概念は、中動態と呼ばれていた
- (2) 中動態という古名
- 中動態:私のもとで行為が実現されている(行為者で閉じている)
- (3) 中動態の意味論
- 中動態では、主語が過程の外にあるか否か。意志が前景化しない。
- 古代ギリシャ人は、「意志」という概念を持たない
- (4) 言語と思考
- ソシュールの言語学:言語が直接思考を決定づける
- しかし、単語の不在は出発点ではなく結果である点に注意が必要。
- 言語は思考の可能性を規定する
- 哲学は中動態=他多動性を能動と受動に振り分け、それを抑圧することで自らを構成した
- 意志、責任、徳という,「自らの判断の帰結による結果」を定義しようとした
- ソシュールの言語学:言語が直接思考を決定づける
- (5) 意志と選択
- ハンナアレントの見解
- 未来が未来として認められるためには、未来は過去からの帰結であってはならない。
- 意思と選択
- 意志:過去から切断された絶対的な始まり
- 選択:過去からの帰結
- 意志の概念は責任の概念と結びついている
- しかし、そのような絶対的な自由意志など存在しない。
- 意志は選択に影響を与える無数の要素の一つに過ぎない
- 意志は、責任を問うために、選択に対して「事後的に憑りつく」概念である
- ハンナアレントの見解
- (6) 言語の歴史
- 名詞–>動作名詞–>動詞
- 過去)なぜ君はこの件に関して話があるのか?
- 現在)なぜ君はこの話をするのか?
- 「出来事を記述する言語」から、「行為者を限定する言語」へ移行
- 名詞–>動作名詞–>動詞
- (7) 中動態・放下・出来事
- 中動態の名残: 雨が降っている (it rains)
- (8) 中動態と自由の哲学
- スピノザの見解
- 神に他動性はない(自らのうちに帰結しているので)
- 「能動と受動」に代わる,「自由と強制」という概念
- 自由と対立するのは,必然ではなく強制
- 自由を追求することは,自由意志を認める事ではない
- 自由意志は後から憑りついたものである(選択と意志)
- スピノザの見解
- (9) ビリーたちの物語
まとめ
- まとめ
・意志
スピノザ
・意志は「自由な原因」ではなく、「強制された原因」
・意志は結果にすぎないにも関わらず、自由意志と錯覚する
・行為へと決定する原因のことは意識に上がらない