2019.12.02 [考え事] データ同化と経験科学の相似性について

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科学基礎論学会での講演に向けて、せっかく勉強したのでメモ起こし。
やはり、背水の陣のおかげで、それなりに勉強して自分なりの思索を深められたように思う。
ただし、こんな思索はみんなやってる。まだまだ、勉強が足りない!

  • 自分なりに編みだせて嬉しかったこと:仮説演繹の2パターン
    • 観察に基づく法則導出: 帰納・演繹
      • e.g., 人口衛星の見る降水観測から、 雲>降水プロセスを法則化
    • 観察に基づく問題解決: アブダクション・演繹
      • e.g.,データ同化する観測数を増やすと精度悪化 誤差共分散のランクが足りない?(仮定)
      • 仮定が正しければ数学でBが説明できる (数学的にモデルを修正して改善するか確認)
  • データ同化はただの数合わせではない、という論点
    • EFSO ==> 台湾沖の対流
    • 二元パラメータ推定 ==> 新しいパラメタリゼーション
    • ただの数合わせで終わらせずに、そのあとの発展性が大事(逆に、ここが強いSCIENCE!)
  • 勉強元:
  • メモ:帰納・演繹・アブダクション
    • 仮定・原因A  –> 法則(AならばB) –> 結果B
    • 演繹:Aと法則からBを導く(真理保存)
    • 帰納:AとBのペアから法則を推論(真理非保存)
    • アブダクション:Bと法則からAを推論(真理非保存)
  • 個人的に思う事: 知識の蓄積法≠知識の獲得法
    • 天気予報データ同化はかなり論文が書き易い(予測で評価できるから)
      • プログマティック?
    • 「研究の進め方」はアブダクション?
      • まず仮定して進める。≒ 予定説、スポーツ選手、発明
    • 「上手くいかないに決まってる」実験の推奨
      • 非論理的な直観。非真理保存なアナロジー。 しかし大発見の必要条件。
    • 経験科学は、コミュニティのゲームなのか?
      • 天気予報村、気候変動村、地域研究村 新しいアイデアは受付困難。ピアレヴューは働いてるのか?
    • 「学問を修めること」と「経験科学への貢献」の違い

哲学の大きなストーリー: 合理 vs. 経験

  • 主な論点(栄作より)
    • 人の認識能力がどの時点で獲得されるかが主な相違点です。
    • 合理論→理性を最初から人は持っている。
    • 経験論→生まれたときはまっさらな状態で、周りの環境から人の能力を身につける。
    • それぞれ流派みたいなものだが、メイン論者がイギリスとフランスだったのでイギリス経験論と大陸合理論と呼んでいる。
  •  演繹か合理か
    • 演繹:合理的思考は概念により行われる
    • 帰納:個々の観察から始めて、一般的な結論に至るべきだ
  • 認識か行動か
    • 認識論:この世界はどんなものか?
    • 行動論:我々はどう生きるべきか?
  •  古代ギリシャ時代
    • プラトン: イデア論「真実の実在性」、上に指を向ける。
    • アリストテレス: 経験に基づく考えを重視、下に指を向ける
  • スコア哲学・普遍論争(~14c)
    • 「普遍」は存在するのか?≒原罪、ひいては、神の存在証明
    • YES:観念論・実在論(理性を最初から人は持っている)
    • NO:唯名論(生まれたときはまっさら。周りの環境から身に着けるもの; e.g., オッカム)
  • 大陸合理論 vs. イギリス経験主義
    • 大陸合理論
      • デカルト:機械論的自然観。演繹法
      • スピノザ:①感覚による想像知、②概念による理性知、③本質に肉薄する直感知、で神に迫れる!
    • イギリス経験主義
      • フランシス・ベーコン:帰納法
      • ジョン・ロック:アイデアは生得的ではなく、感覚と反省に基づき得られるもの
      • ヒューム:神の世界を分離。我々は観察・経験異基づく有用な知識を求めるべきだ。
  • ドイツ観念論による止揚
    • カント・純粋理性批判: いやいや、両方とも必要でしょ
    • ヘーゲルの弁証法:行為経験が人柄を作り、人柄が行為を生む
    • 発展可能性==>国家に適用
  • その後
    • 認識論:構造主義
    • 行動論:実存主義、プラグマティズム
  • 経験科学:
    • 帰納演繹で、両者を併用。やや合理側より

発表のアブストラクト

古代ギリシャから始まる哲学の歴史を概観すると、そこには大きく2つの潮流が見受けられる。一方はプラトンから始まる認識論であり、「この世界はどんなものか?」を問うものである。もう一方はアリストテレスより始まる行動論であり、「我々はどう生きるべきか?」を問うてきた。これら2つの潮流は、14世紀までのスコラ哲学における普遍論争、近代に繋がる大陸合理主義とイギリス経験主義、近代哲学における実存主義・プラグマティズムと構造主義といった形で、現在に至るまで脈々と継承されてきている様に思われる。
合理主義的推論は演繹によって行われ、一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る。一方の経験主義的推論は帰納によって行われ、個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則・法則を見出そうとする。経験科学は、これらを両輪として用いる仮説演繹法により知識体系が築かれてきた。つまり、観察・経験に基づき自然法則を帰納的に導き、その自然法則に基づいた何らかの予言(演繹)を行うのである。予言が観察により支持されても、理論が論理的に証明されたことにはならない。しかし、1つの科学体系は、反証されるまでは生き延びていると見做すことが出来る(反証主義)。この仮説演繹の営みは、「巨人の成長」とも呼ばれている.著者の携わる気象予測・データ同化研究分野では、論文査読に際して仮説演繹を明確に示す必要が求められている。この経験科学の営みには、これまでに大きく4つのパラダイムがあったとされる。1つは観察を通して世界を識る経験科学、次に帰納による法則を導く理論科学、理論に基づいて自然現象を数理モデル化しそれをコンピュータにより表現しようとするシミュレーション科学、そして昨今話題のデータ科学である。
データ同化は、プロセス駆動型の数理モデルと観察に基づく観測データを最適に繋ぐ、統計数理や力学系理論に基づいた学際的科学である。気象予測を例に挙げれば、数理モデルによる予測と、実世界からの観測的事実の両者を融合し、地球上の大気状態について最適な推定値を出す事がデータ同化の役割である。そしてその推定値を初期値として、数理モデルによる気象予測は行われている。データ同化は、理論に基づく演繹的推論と、観察に基づく帰納的推論を両輪とした、最適値推定を行うのである。このデータ同化の役割と、帰納・演繹に基づく仮説演繹的な経験科学の営みとの間に相似性がないだろうか、というのが本稿の主張である。講演では、著者自身の行ってきた数値天気予報分野におけるデータ同化研究について簡単に紹介した上で、上述の私見を述べたい。著者自身は科学哲学分野の専門家ではないため、不勉強に基づく感覚的発言もあろうかと思うが、ご批判・議論いただければ幸いである。

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