構造主義的思考にはまった。
けれども、人に勧めておきながら、自分でうまく説明できなかった。
現時点での、自分の理解まとめ。
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構造主義の本質は、或る対象をメタに構造的にとらえること。
例) 悲しき熱帯。先進社会も、インディアンも、同じような婚姻形態を持つ(構造的)
これは哲学思想の分野に影響を与えた。
人類は成長し続けてきたのだ、という哲学的常識に疑問を投げ返ることになったから。
二度の世界大戦などの反省もあり、人類は本当に進歩しているのか、疑問を呈するようになった。
無条件に歴史の進歩に信奉できるのは、その前の実存主義やマルクス主義。
そこでは、人は歴史を進歩させる主人公として、積極的な献身をモチベートされた。
例) 共産主義革命
この構造主義的な分析方法自体は、いろんな考え方に応用できる。
基本的には、人は 原因–>結果・行動 というモデルを信じるが、これを構造主義的に捉えることもできる。
記憶と情報: 記憶を情報化しているのではない。情報から記憶を再構成している
言語と思考: 思考を言語化しているのではない。言語によって思考を紡ぐ。
石工と考える人: 考える人が元々中にいるのではない。削る行為の中で考える人を形成する
アドラー心理学: 行動しないために、原因を作る。(赤面症の女の子)
これを研究に落としてみる。
研究は、問題が定義されて、その解決方法を考えることになる。
しかし、本当にそうだろうか?問題を定義すること自体が、研究方法に規定されているのではないか?
研究によくあるのは、やる前からある程度結果が見えてしまう。これこそが、その証左である。
備考:
論文とは、自分の考えを世に問うことが目的なのであって、その手段に過ぎない。
手段の目的化が起こっている。
これって本当に悪いことだろうか?
手段の目的創造。まだ少し考えが足りない。