2012.07.02 [読書] 予想通りに不合理

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予想通りに不合理(ダン・アリエリー)

ここ20年くらい,話題の行動経済学.ほとんど心理学の様な気がするのだけれど.

僕自身は,自分の行動・決断というのは,ほぼ合理的に行ってきたと考えているし,周りの人も自分ではそう思ってるんじゃないかと思ってた.しかし,他人とそういう話をすると,どうやらそうでもないらしい.心理学を勉強してたというある人の話では,自分自身の行動・選択がどの様にして起こっていたのか知りたかったので,心理学を勉強していたとのこと.

それはておき,行動経済学の本は,得てして,あなたの選択は合理的じゃないでしょ?っていうことを証明する実験を多く行っている.その実験の多くの結果は,僕が被験者でも同様な選択をする問題がほとんどである.という事で,僕自身が行動経済学の本を好きな理由の一番は,自分が如何に合理的な選択をしていないか,という事の驚きによるものである.

本を通して感じた,2つの大きなテーマは以下の2点でした.
A.僕の合理的だと思っている選択は,不合理
B.社会的契約の金銭化

Aについては,色々な実験結果から報告している.
一つの実験事例を紹介すると,以下の様なものがある.

A. 7ドルの価値(相対化)
今,あなたが買おうとしている物と同じものが,100m先の店で7ドル引きで売られていると知った時に,100m先まで買いに行くか?
(ⅰ)25ドルの万年筆の場合
(ⅱ)455ドルのスーツの場合

ほとんどの人は,ケース(ⅰ)では買いに行き,ケース(ⅱ)では行かない.同じ7ドルなのに.これは,自分の損得勘定が,相対的に決定されている事を示す例である.

僕自身が面白いと思ったテーマは,B.社会的契約についての物だったので,それについて以下では記述する.

興味深かった話を2つ紹介する.強く思うのは,全ての行為・物質・関係を金銭的に処理するように変化している現在の流れに対する,大きな懐疑である.

B.1 クリスマスの準備
自分の母親(奥さん)が,家族と楽しいクリスマスを過ごそうと,楽しげに準備をしてくれている.いざ,晩御飯を食べようとする際,あなたがこう切り出すと,相手はどう感じるだろう?

「今日のこれまでのあなたの準備に対して,心から感謝します.そのお礼として,3万円払おううと思うのですが,受け取ってくれますか?」

喜ぶ相手はいないでしょう.しかし,例えばこれが3万円のネックレスだと,相手は大きく喜ぶはずである.

母親(奥さん)が喜んで準備するのは,それが社会規範によるものだからである.それに,金銭的価値による市場規範により処理しようとすると,非常に不快に思う.プレゼントを贈るのは,社会規範と捉われるので,不快に思わないわけである.

社会規範を市場規範に置き換える危険性は,以下のエピソードが如実に物語る.

B.2 イスラエルの託児所

託児所に迎えに来る母親の遅刻を減らそうと,迎えの遅延に対して罰金を科す事にした.結果として,遅刻が増加する事になった.

一見矛盾しているように見えるが,もともとは,遅れずに迎えに行く「社会規範」の行為であったのが,罰金を遅延料金とみなす「市場規範」に置き換えられてしまったからである.遅延の罰金が,金銭的に許容可能であると,親は平気で遅刻するようになる.

この話は後日談もある.その後,託児所があわてて罰金化を辞めたが,親たちの遅刻は止まらなかった.これは,何を表しているかというと,一度市場規範に置き換えられてしまった社会規範は,もう元には戻らないという事である.

遅延を止めさせる方法は?罰金料金を上げることである.親たちの金銭的許容が不可能であれば,市場規範により遅延をしなくなる.
これ,おかしくない?法律が年々厳しくなっているように思うが,これも似たような問題だろう.高校の時に漢文の先生が語った,中国史の話をいつも思い出す.

昔,韓非子の法家主義により国を治めようとした秦王朝は,50年続いた.儒教の徳治政治を採用した漢王朝は,400年続いた.

一度失われたモラルは,もう取り戻せない.そして今現在,日本は厳罰化に向かっている気がする.それと同様,社会規範もどんどん市場規範に置き換えられている.

原因は?「合理的」なるものが,今の世界では良いとされているからではないか?しかし,各人の「合理的」は,時に「予想通りに不合理」な決断をくだす時がある.この様な世の中の仕組みを変えるべく,行動経済学の方々は,社会規範の捉え方にも研究を進めているのでしょう.

今の世の中を,もっと良くする一つのヒントが,ダン・アリエリーの最後のコメントが秀逸である.

「物質的欲求がなくても,脳を欺くことは可能である.そうすれば,よりよい世界を設計できると思います.これこそが,行動経済学が照らす希望の光なのです.」

トム・ソーヤにこんな話があるらしい.

トムが,ある日,祖母から家の塀のペンキ塗りを命じられた.厄介な仕事頼まれたトムだが,楽しそうにペンキを塗り,友人にこう話す.「ペンキを塗るとか,稀にしかできない体験をできてる僕はとても幸せだ!」。友人は,自分もペンキ塗りに参加したいと,お金を払ってペンキ塗りに参加し,みんなで塀のペンキ塗りを終えた.

典型的なWIN-WIN関係であり,みんなが幸せである.これは,”ペンキを塗る”という行為を,金銭で一元的に捉えようとする,合理的な判断からは出てこない発想である.これこそが,行動経済学が照らす,希望の光である.人の幸福は,合理性のみからは決められない.



予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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