2012.07.02 [読書] 科学的思考のレッスン

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科学的思考のレッスン(戸田山和久)

10年ほど前,アメリカの創造論者(神様が多様な生物をデザインしたとする説)はこういう主張をしていたそうだ.
「ダーウィンの進化論は,あくまで”理論”であって”事実”ではない.我々の創造論は,ダーウィンの見解とは異なる,生命の起源に関する説明である.理論が事実でない以上,教育には同じ時間を割くべきである.」

一見,言っている事は論理的に見える.しかし,何かがおかしい.何だろう?

似たようなことに対する違和感が中学生の時にあった。数学的帰納法を用いた,人類みんなハゲ理論。

1.髪の毛が0本の人はハゲである.
2.髪の毛がk本の人がハゲだとすると,k+1本の人もハゲである.
3.以上により,数学的帰納法により,人類が皆ハゲである事が証明された.

この話自体は,数学的帰納法の概念を面白く教えようという意図であろうと思うし,そのコンセプトとしては良かった。
ただ,論理としてはおかしい.何だろう?

これら,二つの問題に共通しているのは,”二分法”という考え方にある.
理論と事実の二分法.ハゲとハゲ以外の二分法.

しかし,その間には,連続関数として繋がっていて,決して離散型の問題ではない.
具体的には,”ハゲらしさ”,”確からしさ”は,0か1で判断できるものではない。

この話を読んでいて,昨今の原発の問題も似たようなもんじゃないかと思ってしまった.

自然エネルギーが”利用可能か,否か”で,利用可能だから,そちらに移行可能.
原発は,”危険か,否か”で,危険だから,廃止すべき.

もちろん,それ以上の理屈を考えて,反対している人もいっぱいいるとは思うんだけど,多くの人の意見は,”○○だから,××”という,短絡的二分法に支配されているように思う.

それについて,京大教授の佐伯啓二が,”反・幸福論”で面白い事を言っていた.

「原発が危ないから止めろという.
それなら,自動車なんかとっくに廃止すべき.
実際に,年間に何人もの人が死んでおり,原発よりはるかに危険である.

人々が自動車を使い続けるのは,メリットが大きいからである.
では,原発はどうだろうか?」

面白いと思ったのは,「原発も自動車も”モデル”は同じである」という発想.危険なものがあり,それにより受益も受ける.

世の中のほとんどすべての物事はトレードオフであるし,どちらか一方に決断できる物は少ない.結局,損得のバランスを見て決めるしかない。



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