2013.01.09 [考え事] アウシュヴィッツ その2

アウシュヴィッツに行って感じたこと.一回目では国家の関係について書いたりしましたが,今回は内面的な問題について.

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モデル化,数値化の危険
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特にこの辺へは普段の生活でも意識すべきだと思った.モデル化や数値化というのは,理系の学問を修めていく過程で必然的に身についてくるスキル.情報が多すぎると体系立てて整理できないので,ある程度まとめてモデルとして捉える視点や,数値的に捉えていく事はどうしても重要.しかし,こういう科学的に非常に有用な思考法であってもデメリットを包含している.というか,須らく全ての物事はメリット・デメリットを持ってるもんだと思うけど.

具体的に言えば,例えばベルリンの中央部が報告書で見る40000という数字と,実際に現場で見る40000人は情報量が明らかに違う.こういった数値化を経ることで,人間が本来持つ倫理的な時制は効きにくくなる.情報として識るというのと,知覚として知るというのには,大きな隔たりがあるのだとわかる.

また,こういった事実をドイツ人は知っていながら何故許容したのかっていうのは,当然思う所.彼らのナショナリズム的な感情をうまく利用された面ももちろんあるのだろうけど.しかし,ドイツ国内にいて,収容所のことをなんとなく識っているというのと,現場の状況を知っているというのも大きく違う.実際に現場に行ったことがあるものが多数だったら,もっとブレーキもかかっただろう.
モデル化自体は,アウシュヴィッツの悲劇についても,正直今まで単純に考えていた自分への危機感も感じた.ナチスが政権を掌握するために,ナショナリズムの感情を煽ったというのは,確かに理解しやすい.けど,本当はもっともっと複雑な事情がある.理解しやすくするための簡略化は,多角的な面を損なう.例えば,最近のドイツの若者が右翼化しているっていう報道も分かりやすくて,理解しやすいために許容しやすい.

伝聞の範囲の話だけど,ドイツ人は戦後,”我々はナチスに煽られたんだ”という意識で,問題を帰結化させた,と.人間として,自分が悪いと思いたくないし,そうなる感情は分かる. って感じで,分かりやすいモデルがまた,僕には理解しやすいのだが,実情は分からない.

高校までの教育から,僕も”太平洋戦争は軍部が始め,扇動した”って意識だったけど,こちらもそれだけでもない気がする.確かにそういう事実はあると思うのだが.しかし,そう考える方が楽だし,自分の責任を受け入れたくない面もあるから,モデルを受け入れてのかなと.実際に戦後の方々がどう考えたかは,個人個人で違うと思いますが.

多分,人間は原因が分からずに悪い状態になってるっていうのを結構嫌うし,基本的に自分自身への責任を認めたくないもんだと思う.世界大戦後の軍部への感情も,そういった面があるのかもしれない.最近の景気の低迷も,どこかしら誰か悪者を探している雰囲気を感じる.また,報道は,危機意識を煽りたいし,警告を発するのが仕事でもあるから,人々に分かりやすい警告として伝えやすい様にモデル化して,レッテルを張りたがってる気がします.

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倫理と正義
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モデル化の話は,現在と同じような倫理観を持ってしても,悲劇を止めにくくする要素である.しかし,歴史には今から見た悲劇・反倫理であっても,過去には善とされてきたことも多数ある.奴隷,植民地,麻薬とまぁ,数え上げるときりがない.倫理・正義というのは,その時々の社会で変わるものではあるだろう.もしかしたら遠い将来には,お酒を平気で飲んでる今を野蛮な時代としてみなしているかも知れない.

その場所にいて思ったのは,須らく人々は自分と家族,周りの人々の幸せを願っている.しかしアウシュヴィッツは,そういった普通の人々がいる国が引き起こした悲劇だということも思った.

具体的に,「自分がもし,アウシュヴィッツのSSであれば,どう振る舞ったか?」というのは,なかなか難しい疑問である.もちろん,自分の倫理に基づいた正義ある行動を自分には期待している.けど,同時に本当にできるのか,という疑念は拭いきれない.というか,実際は出来ない気がする.あの状況下で国家の方針に逆らうことは,かなりの確率で自らの死を意味するだろう.そうなれば,自分を含めて,家族を不幸に陥れることになるかもしれない.そういう状況下で,果たして自分の正義に基づいた行動を行えたか?

現実世界で,そのような選択肢を迫られない事を願う.国民大衆のコモンセンスは驚異的.倫理とか正義とかいうものは,社会的に決定されるものであっても,思考停止せずに自分の頭脳で考え続けることも大事やと思う.科学者としては,その能力を発揮した場合の影響も大きいので自戒を忘れちゃいかんと思う.国家の為を想って毒ガスを開発したフリッツ・ハーバーもいるし,日本人としても731部隊を持っていたりして,他国の話ではない.

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人間の適応・悪魔の心理学
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これはどの動物もそうなんだろうと思うけど,人間って「刺激に対して反応が弱くなる」生物だと思う.これは,肉体的にもそうだけど,精神的にそう.多分脳の消費エネルギーを下げるためだと思うんだけど.「夜と霧」のフランクルの記述なんかでは,だんだんと感覚がマヒしてきて,隣人が死亡してもまったく感動しなくなった,とある.

また,アウシュヴィッツは規模の割に逃走者がかなり少なかったらしく,その要因の大きな一つとして,収容所内での階級社会の形成があるそうだ.中で階級を作ることで,密告社会にし,また上位層の不満をいくらか解消する.日本にも似たようなシステムがありましたね.

また,人間としての感覚がマヒした収容者をみて,管理者側もだんだん普通の人間として見なさなくなってくる.こうしたことの積み重ねで悲劇が止まることはなかった.悪意的な方向では,収容所の形成は天才的である.人間の能力は凄まじく,それを悪魔じみた使い方もできるということ.

  • kotsuking
  • 関東の某国立大学、教授。他に、JST・さきがけ研究員、理研・客員研究員、気象予報士。京都大学大学院で博士(工学)を取得。
    スーパーコンピューターを駆使して天気予報の改善に取り組むデータ同化研究者。座右の書は「7つの習慣」。

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